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東京地方裁判所 昭和30年(ワ)8687号 判決

原告 大西工業株式会社

被告 橋本鉄太郎 外一名

主文

一、被告橋本鉄太郎は、原告に対し金二十万円を、これに対する昭和三十年十月十七日以降右完済に至るまで年六分の利息と共に支払う事を要する。

二、原告の被告松丸貞蔵に対する請求は、之を棄却する。

三、訴訟費用は、原告と被告橋本鉄太郎との関係に於ては原告に於て生じた費用を二分しその一を原告の負担としその他を同被告の負担とし且つ同被告に於て生じたものは全部同被告の負担とし、原告と被告松丸貞蔵との関係に於ては被告松丸貞蔵に於て生じた費用を全部原告の負担とする。

四、この判決は仮に執行する事が出来る。

事実

原告は、(一)「被告等は各自、原告に対し金二十万円及びこれに対する昭和三十年十月十七日以降右支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払うべし、(二)訴訟費用は被告等の負担とする」との判決並に仮執行の宣言を求め、その請求原因として(一)被告橋本鉄太郎は、昭和三十年七月十九日訴外ナイス工業株式会社と共同して、被告松丸貞蔵に宛てゝ額面金二十万円、満期昭和三十年十月十六日支払地東京都大田区、支払場所株式会社住友銀行大森支店、振出地東京都品川区とした約束手形一通を振出し、(二)被告松丸貞蔵は、右約束手形を拒絶証書作成義務を免除して白地式にて訴外松井正義に裏書交付し右訴外松井正義は之を原告に裏書せずして交付した。(三)原告は、満期に右約束手形を株式会社住友銀行虎ノ門支店を経由して支払場所に支払のため呈示したが支払を拒絶された。(四)仍つて原告は、右約束手形の振出人である被告橋本鉄太郎並に裏書人である被告松丸貞蔵に対し、右約束手形金二十万円の支払を求めると共に昭和三十年十月十七日から右支払済に至るまで年六分の利息の支払を求めるため本訴提起に及んだと述べ、被告松丸貞蔵の抗弁事実に対し原告の悪意の点を否認し原告は、訴外松井正義から原告の訴外ナイス工業株式会社に対する貸金償権回収のために本件手形の交付をうけたものであると述べ、立証として甲第一号証を提出し証人松井正義の尋問を求め、乙第一号証の成立は不知と述べた。

被告橋本鉄太郎は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として原告の請求原因事実の中本件手形振出の事実は認めるがその余の事実は否認する。と述べた。

被告松丸貞蔵は、「原告の請求を棄却する」との判決を求め、答弁として原告主張の手形振出及び裏書譲渡並に呈示の点はすべて認めると述べ、抗弁として被告松丸が訴外松井正義に対し本件手形を交付したのは取立委任の目的であつて、原告は右事実を知悉して本件約束手形を取得したものであるから原告の本訴請求は失当であると述べ、立証として乙第一号証を提出し、証人松井正義、被告松丸貞蔵本人及び原告大西工業株式会社代表者本人の各尋問を求め、甲第一号証の成立を認めた。

理由

一、被告橋本鉄太郎は、本件手形の振出の事実は認める所であり、右被告の右自白によつて其の成立を肯定し得られる甲第一号証によれば、裏書の連続及び呈示の事実を認める事が出来るから原告の同被告に対する本訴請求は理由がある。

二、本件手形が被告松丸貞蔵宛の訴外ナイス工業株式会社と被告橋本鉄太郎の共同振出の手形であり被告松丸がこれを訴外松井正義に白地式を以つて裏書交付し、原告は右訴外松井正義より其の裏書なくして本件手形の交付を受けたものである事は、当事者間に争はない。

被告松丸が本件手形を右訴外松井正義に裏書交付したのは、其の共同振出人たる前記訴外ナイス工業株式会社或は被告橋本鉄太郎に対する手形取立の為である事は、被告松丸本人の供述によつて之を認める事が出来、右認定に反する証人松井正義の証言は措信しない。

従つて右訴外松井正義は、本件手形に基いて共同振出人たる前記訴外ナイス工業株式会社及び被告橋本に対しては正当に手形金の請求を為し得るけれども、被告松丸に対しては遡求権を有しない事は言を俟たない。

従つて又原告が、右訴外松井より本件手形の交付を受けるに際し、右事実を知つて居れば被告松丸に対して本件手形上の遡求権を行使し得ないのは寧ろ当然の帰結である。統一法たる我が手形法は其の第十七条但書に於て「債務者を害する事を知つて手形を取得した時」と規定して居り、右規定は約束手形にも準用される(同法第七十七条)。

故に所謂悪意の抗弁の成立条件は手形取得の際手形債務者を害する事の認識であり、此の認識が必要且つ十分の要件である事は明らかである。右認識は所謂未必の悪意を包含する。従つて手形債務者を害するかも知れないとの認識、即ち疑惑、更に平易に云えば右の事に感付いて居れば足りるのである。而して此等の心的過程は其の時の事情によつて認定する事が出来る。

併し、右未必の悪意の認定は手形の取得が対価の下に、或は其の他所謂正常継承に係る場合と然らざる場合、即ち所謂異常継承の場合とに於て其の趣を異にする。前の場合に於ては一般に疑のある手形は之を取得しないのであろうとの善意の推定が働くのであるから此の推定が覆えされない限り、疑の可能性は善意、即ち知らなかつた事に対する過失(過失は悪意の抗弁を成立せしめない)を構成する事となるのであるが、後の場合には右の如き推定がないのであるから善意も悪意も共に事情によるのである。而して最後の異常継承が対価によらない場合には普通未必の悪意を認定し得べき事情が存在すると言えよう。

本件に付き此の点を検するに、原告が本件手形を右訴外松井から取得したのは、前に原告が前記訴外ナイス工業株式会社に対し、右訴外松井の弟一益(右訴外会社の会計係)を通じて為した金二十万円の貨金がありこれに対して右訴外会社振出の約束手形の交付を受けて居たが、右手形は不渡りとなつていたので、原告は右訴外松井正義より被告橋本と右訴外ナイス工業株会社との共同振出であり且つ被告松丸の裏書のある本件手形を取得したものである事、従つて原告は本件手形の取得に対し対価を払つたものでなく右訴外松井の原告に対する特別の恩恵行為である事は、原告代表者浅見亀の供述によつて明らかであり、その際右訴外松井が被告松丸より本件手形の裏書を受けた理由に付ては全く話さなかつた事は右原告代表者及び証人松井正義の各供述の一致するところである。翻つて右訴外松井は、右訴外ナイス工業株式会社の常務取締役(但し登記はない)であり、被告松丸は右訴外ナイス工業株式会社に対し約三百万円の売掛代金債権を有する者である事は右訴外松井証人及び被告松丸本人の各供述によつて知る事が出来、右訴外松井が資産を有するものとは認め難い。従つて、本件に於ては一面右訴外松井の手形取得が所謂正常継承であろうと考え得る事情にもあるが、他面に於て右訴外松井から本件手形を取得して其の権利を行使するに於ては手形債務者を害するかも知れないとの疑を普通の合理人であるならば持ち得る可能性のある事情の下にある事も亦之を否定し得ない所である。故に、右の疑が否定されるに足る事情がない限り原告の未必の悪意は当然肯定されなければならないのである。然るに、被告松丸本人は、右訴外松井が本件手形の裏書を受けて後訴外滝口某に対し本件手形を金にして右松井と滝口とで半分宛山分けしようと申出た事を右訴外滝口から聞いたと供述して居るが、原告との間に右の如き話合が為されている事の証拠は勿論ない。唯、本件手形は右訴外松井の弟一益方に於て右訴外松井正義から原告代表者浅見が交付を受けた事を右原告代表者浅見本人の供述によつて知り得るのみである。併し右訴外松井が不正直である事は本件の同訴外人の行為に徴し明らかであり此の不正直は一般に取引に際し相手方に感知せられ而して夫れが疑惑を起させ疑惑を強め或は其の内容に一層有力な根拠を附与するものである事は、実験則上容易に肯容し得られる所である。故に本件に於ては原告の未必の悪意は之を深める事情こそすれ之を否定するに足る事情はないのであるから被告松丸の悪意の抗弁は理由があり、原告の同被告に対する本訴請求は失当たるを免れない。

三、訴訟費用負担の裁判は、民事訴訟法第九十二条、第九十三条により、仮執行の宣言は、同法第百九十六条による。

(裁判官 安武東一郎)

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